超 自 省 録

時事、日中関係、社会問題について。会社員、オタク、二ヶ国語をしゃべるやつが、書きます。

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会社の理念・働くということ・付加価値・社会主義 1

 
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「会社の理念」が叫ばれる時代だ。

大抵の会社のパンフレットの裏に書いてあるし、説明会でも言われる。

「・・・わが社は・・・・・・、地球社会・・・・・・・人間が・・・価値を・・・・環境と・・・・・・」
 幾分かましになって、具体的な書き方をしているところもある。

 それでも、そういうキレイゴトを聞くたびに、僕は心の中で「ほざけ、Commerce Entityのくせしてなに言ってやがる」と思ってきた。 別に斜に構えているわけじゃない。ただ、営利を至上かつ唯一の目的とすべき企業というものが、「社会的理念」を振りかざすことに偽善を感じるだけだ。

 なんども言うが僕は偽善が嫌いだ。悪人の5千倍くらいは嫌い。

 で、話を戻すと、そんな僕が今日、人生ではじめて、心から納得できる「経営理念」を聞いた。生きててよかった。忘れないうちに記録したい。以下がその話の内容である。

なお、()内は実際の談話にはなかった部分であり、*は筆者が文末に注をつけたところである。

---------------
 うちの会社の理念とか、抽象的な部分に入る前に、まずお話をしてみたいと思う。

 松下幸之助は、販売員をやっていたとき、他の販売員が人んちの庭先の蛇口で水を飲んでいるのを見かけた。食料が乏しく、柿を盗み食えば半殺しにされる時代であった。なのにもかかわらず、他人のうちの水を飲んでも咎められない。そのことは誰の目にあきらかで、なぜかと考えてみたら、水は稀少ではないからだという結論にたどり着いた。。
 松下は考えた。「すべてのものが、水のようにあればいいのに」と。
 水道の哲学である。

 それから松下は松下電器を作った。あらゆるものを大量に安く生産し、人々に届けた。そのやり方には確かな「理念」が存在し、それは他人から「マネシタ」*1と揶揄されても、微塵たりとも動揺しない理念だと思う。

 ダイエーの創始者、中内 功は戦中、飢餓のフィリピンをさまよった。人肉食いの噂が絶えないミンダナオ島で、彼は文字通り餓鬼であった。*2 戦後、彼は「すべての人に食料を届ける」という思いでダイエーをつくり、流通革命を引き起こした。
 こんにちはダメになってしまったダイエーだが、日本で一位の小売業になった裏には、中内さんのそういう理念があった。
 
 (人をもっとも強く突き動かすのは、己の欲望ではない。世の中を変えたい、すべての人を良くしたいという使命感だ。もちろんこれだけで「経営理念」を持つことは必然にならない。必然になるのは、理念が働く者自身にとっても必要だからだ。)
  
 僕(創業者)自身のことを話してみよう。僕自身は、大学時代にアメリカに渡り、パソコンの普及を目にして驚いた。96年当時、アメリカで貧しい層の人々も、普通にパソコンを使い、メールやチャットでコミュニケーションしていた。僕は、これからきっとこの機械が世の中を変えるにちがいないなあと思った。帰国したら絶対コンピューター業界で働こうと思った。
  それから日本に帰り、ある3000人も抱える会社に入り、プログラマーになった。やっていることはドカタと何ら変らなかった。与えられた設計書を、何ら疑うことを許されずに、ただひたすら書いていく。始のうちはよくわからないので、言われたとおりにやっていたが、一二年するとだんだん疑問が大きくなる。「こんな設計で果たして意味があるのか」「ここはこうした方がいいのではないか」「これじゃエクセルのシートでもできる」とか。

  システム開発というのは、けっこうブラックボックスだから、お客さんには中身がわからない。だからしょぼい代物でも数千万円で売れてしまう。僕はそれが嫌だった。もっと価値のある、意味のあることがしたかった。
  人間というのは、不思議なもので、無意味な仕事というのも、しつづけることができなくて、囚人に穴を掘ってまた埋めさせるという作業を繰り返させると、大体気が狂うという。
 
  まあ、そういうわけで、僕は転職して、アクセンチュアという会社にはいった。システムを自分で設計する側に回ったということになる。で、アクセンチュアにはたくさん面白い人がいて、そういう意味では楽しい会社だったが、やっぱり大企業の論理というか、そういうものが多少あり、時には前(の会社と)同じように、したくないような仕事をしなければならなかった。
  そのまま仕事を続けても良かったけど、僕はもっと違うことがしたかった。多分人間というのは、本質的に価値の創造(他者にとっての)を求めるものだと思う。自分が創造した以上のものを受け取りつづけると、嫌になってくるのだと思う。たとえば、由縁もないのに、人からお金をもらいつづけると、すごく心理的に負担になるという。

  僕はアクセンチュアをやめ、自分たちで会社を立ち上げた。コンセプトは何にしようかと考えたときに、さっきの松下と中内のことが頭を過ぎった。しかし、なんといっても時代に合っている必要がある。今は戦後と違い、物があふれる時代だから、0を1にするという理念で世の中を幸せにすることはできない。すでにある物を使いやすくすることの方が重要そうだ。そう考えたときに、僕はユーザービリティというものに注目した。
  
  今日本で一番の本屋さんはどこだと思います?紀伊国屋じゃなくて、アマゾンが日本国内No.1の本屋になる時代なんですよ。アマゾンのように、社会のあらゆる側面がネットへシフトしつづける中、インターネットが人間にとって使いにくいことは、大変不幸なことじゃないかなーと思う。つまりたくさんの人が使うのに、使いややすくない、というのは正しくないということ。システム開発をする側というのは、ユーザーの使い勝手なんて考えないもので、ことに社内システムというのは、嫌でも従業員は使ってくれるからね。時には訓練してまで使い方を学習させる。

  ところが、一般社会向けのWEBSITEがそうあってはだめだ。使いにくいサイトはユーザーが見なくなる。政府が打ち出すu-japan戦略だって、結局のところ国民にとって使いやすくなくては意味がない。ネット上で住民票1つ申請するのに二時間かかったようじゃ、意味はないのだ。
 だから、僕たちは、とりあえずインターネットから始めて、やがては他の分野に進出するかもしれないけど、世の中の使い勝手を良くしていきたい。そうして、世の中に価値を作り出していきたい。
 
 *1 ソニー共同創業者森田昭夫は、「MADE IN JAPAN」の中でユーモアを込めてこう回想している。
 「松下幸之助さんにはこう言われた。『うちは東京に研究所があってな、ソニーという名前だ。そこが何か新しいことをやって、上手くいったらうちでやればいい」と。ウォークマン開発の前後の部分である。

 *2 中内 功氏は戦後、インタビューで「戦地で最も怖かったのは日本兵だった。眠りこけてしまうと、隣の男に殺されて食われてしまうという恐怖が常にあった。」と答えている。「生きて帰って、すき焼きを腹いっぱい食べたい。食べ物の恨みでスーパーを始めた」とも。

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この会社、ビービットという。計四人で小さな部屋で話を聞いたせいか、えらく染み込んだ話だった。
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  1. 2005/09/29(木) 21:28:22|
  2. 就活
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1.眼を閉じ、耳を開きなさい  ~AVマニアが語りだす~

まず、題名は本文内容に対してあまり正確ではない。

正確に言うと、AVとはAudio Visualの略であり、秋葉原は萌えの街ではなく電気街だ。

これが、僕が言いたいことのほとんどすべてであり、これだけわかってくれれば十分だ。

でも、もう少し書いてみる。



 我々は、目を閉じることができても、耳を閉じることができない。マブタみたいな開閉装置は耳にはついてないからだ。
  疲れたとき、目を閉じて視覚を遮断するだけでも脳を休める効果があるという。だが、よほど精神が困難に陥らない限り、両手で耳を塞ぎたくなることはないはずだ。寝ているときは目を閉じるが、耳は閉じない。 

 そもそもこれはなぜか、不思議に思う人はいないだろうか。
  
 この疑問をいただきつつ、映像と音の話を書こう。


  
  20年ほど前、SonyとPhilipsがCompact Discを策定して以来、音を記録するのはCDでありつづけた。技術が進歩して、再生する装置がMDになっても、MP3プレイヤーになっても、CDが廃れることはなかった。創作された音楽は今でも、CDが策定された当時のと同じの基準で、同じ音質で記録されつづけている。MDもMP3も、しょせんCDの劣化版に過ぎないのだ。
  我々の耳は、所詮そんな程度の代物であるということだ。つまり、CDの音質で有り余る程のもので、進化は必要とはされない。実際、高音質を謳うDVD-AudioやらSACDといった次世代規格は、市場に受け入れられなかった。DTSとあDolbyとかサラウンド規格が出てきたが、音質が進化したというよりも、多チャンネルになっただけだ。

  
 つまり、音声記録の規格はある時期から停滞しつづけた。

 それに対し、50年にわたり、映像規格は進化しつづけた。
テレビ規格がNTSCに定まり、白黒からカラーになった。それを録画するのがβ、VHSであった。そのうちDVDが出てきて、今、ハイビジョンが出きた。今度はこれを記録するためにHD DVDとBlue-ray Discが当年さながら争いを演じている。伝達ケーブルも最初コンポジット端子(黄色)であったが、S端子になり、コンポーネントとDになった。・・・・・・・・・D端子はD1からD5まであり(よく誤解されるがD端子が伝えるのはアナログ信号で、デジタル信号ではない)、デジタル伝送の方は、HDMI端子がフルハイビジョン(横1920*縦1440ドット)の画像まで対応する。

 パソコンディスプレイも、テレビ画面もどんどん大きくなり、精細になっていく。いつの時代になっても映像機器の進化は疲れることをしらない。なぜだろうか、不思議に思わないか?それとも進化はあたりまえすぎることなのか。
 
 想像してみるがいい。目を閉じ、耳を開いて

ヨーヨー・マーの演奏が聞こえてきた。聴衆のあなたは、これが本当に本人がプレイしているのか、それともCDとデジタルアンプ+高級スピーカーが作りだした音なのか区別することができるのか?

 今度は目を開いてみるがいい。目の前に高価な大型液晶テレビに、ハイビジョン撮影されたヨーヨー・マーの演奏シーンが再生されている。あなたはこれを見て、本物がそこにいると勘違いするのだろうか?

 おそらく、一番目で間違える人はいても、二番目の質問で間違えるひとはほとんどいないだろう。それはディスプレイのフレームがあるからじゃない、フレームを上手く隠しても、近づけば一発で解ってしまうものだ。

 このことからいえるのは、映像機器にはまだまだ進化の余地があるということだ。

 考えてみれば、我々人間にとって、視覚は聴覚よりよほど重要な役割を果たしている。盲人か聾人のどちらかにならなければいけない、と想像してみればいい。
 同時に、目の認識力(解像度と言いかえてもいい)は耳のそれを大きく上回っている。これについては、次の章の情報量で詳しく書く。


 ところで「ヴィジュアル系」ということばがある。僕のある友達が女の子と別れられなかった理由を追憶して、「ヴィジュアルがどストライクだったからな」と話していた。
  時を追うごとに男女問わず見た目がどんどん人々の関心ごとなるのは、テレビが戦後50年を支配してきたからではない。そもそもテレビが支配したという事態自身が、人間という生物の性能からして当然だったのではないか、と思う。

 人間はVisualの生き物だ。

 このことを昔の中国人は 百聞不如一見 と言った。
 
 しょせんひとにとっては、目で見えるものが真実であり、重要である。一方で聴覚なんていう瑣末なものは、遮断する器官をもつまでもない。



ブログ内関連記事
1.眼を閉じ、耳を開きなさい  ~AVマニアが語りだす~

2.人間の目は何万画素か  ~CDとDVDの容量のお話~

3.真実からの抽象  ~デジタルとアナログの間で~
  1. 2005/09/28(水) 23:11:39|
  2. AVマニアから見る世界
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先週の後半

火曜日にゼミお疲れのみがあった。来たのは7人。
いまいちこのゼミをよくつかめないのだが、多分むこうからしたら俺の方がよくつかめないだろうな。

ま、なにが言いたいかというと、いかに酒が人の深層を表層に引き出すのか、ということをまざまざと見せつけれられた。起きてみたらびっくり、店を出たごろ変なノリに進化しさらに不可思議。

 まあ、わかってないのは俺だけだろう。

 日曜日に早稲田に行った。三時におわり、都電に乗って帰ろうとしたら、バスで早稲田→本郷直通があることに気付き、乗る。便利だ。

夜はしゅうま企画OVAL飲み。

  
  1. 2005/09/26(月) 01:38:51|
  2. 生活記録
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このブログの存在意義2

夏休みで唯一ほんとうに休みな一週間を過ごしています。ゲーム、DVD三昧。だらけすぎて更新もメールの返事もしません。

 久しぶりなのでどこから書いていいのか決まったアイディアもない。とりあえず、まえに激励をしてくれた人たちに一言。

アさん、君もブログを本格的にはじめたらどうだ。僕と似ていろいろ話すことあるのでは。「おれ、忙しくてそんな時間ないよー」と言いそうだけど 笑

にんぎ 21歳おめでとう。おまえテニスやりすぎだ。でもやせてよかったね。

まる 就活がんばれ。いつも見てくれてありがとう。


そして「このブログの存在意義」を引っ張る。

 気付いたのだが、このブログが存続するか否かというのは、ここが有用な情報を提供し世の中にValueをどれだけaddするかということよりも、俺自身が書くことによってどれだけの効用を得るかということの方にかかってる。 そうだろ? 客観的に価値よりも、おのれの自己満が決め手なわけ。だってそうでしょ、税金もらってるわけじゃないし、書くも書かないも俺なんだから!

・・・

なぜか誰に対してともなく開き直っているのですが、続けます。

問題は、俺自身の効用なり満足なりが、客観的価値に大きく関連しているということにある。
 大きく関連しているのはそれ以外にももちろんあるということだ。

たとえば、それ以外では、ブログが筆者にもたらす効用は一般的に

1.感情の発散  書けば気が紛れることもあるでしょ
2.思想の言語化 書けば考えがはっきりすることもある
3.記録としての日記  あとで見直すと、これがおもしろい
4.自分のアピール  実際に会わなくても、自分という人間を知ってもらえる
5.一対多の人間関係を促進  4とセットで効果を発揮。実際ブログから始まる人間関係もあるという。
6.自分用のメモ ダンスのメモで活用してる。出先で携帯で見れるから。
7.書く練習になる。 世の中には仕事の多忙の中、本を何冊も書く人がいる。とても信じられないが、おそらく手際よく思考をまとめ文字にしているのだろう。
8.思い通りに世の中を動かせる。 相当動かせないと思いますが、それでも自分の意見を公示することによって微小なインパクトを与えられる

ざっとこんなどころだろうか。この中に「有用な情報」なんて、いちbitも出てこないが、間違いなくブログを書くことによってえられるメリットではある。つまり有用じゃなくてもけっこういいことはあるということだ。
 
 でも、ここから決して「じゃあ、ブログは別に有用性はなくてもいいんだね」というオチに導かないのが、俺という人間。

 このブログに限っては、いつまでも有用性を目指していく。

それがプログラマーでいうところの「オブジェクト指向」であり、商売で言う「お客様のニーズ」であり、人間でいうところの思いやりである。 

 特に、僕の場合、自分の日常を綴っていればみんなが興味を持ってくれるほど良質な人間ではないので、ますます読者に対する「思いやり」を持たなくては、と思う。

 
 
 
 


 
  1. 2005/09/24(土) 01:25:59|
  2. 雑感、随筆
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帰納と演繹と天才

 天才は演繹ができる人のことだと思う。生まれながらにして真理が組み込まれた人とでも言い換えてもいい。

 凡人でも、年を重ねて経験が積もれば真理が分かるようになるが、天才は最初から真理が組み込まれている。凡人は真理の公式を帰納によって取得する。帰納は学習であり、だれでもできる。しかし世の中には、未経験なことでも初っ端からできる人がいる。それが天才だ。

 いったん話が変るが、演繹に使える真理の公式は、どのようなものだろうか、それは時、空間を超えて共通するものだと思う。例をあげてみよう。
 
 文帝の幕賓は、宰相の人事について意見を尋ねられた時、「陛下はどうお考えですか。」と返しつづけ、見事に帝の真意を引き出したという。
 これぞ今流行りのコーチングではないか。

 相談を持ちかけられたとき、ちゃんとコーチングできる人間がいる。天才だと思う。一方で、俺みたいにいいかげんな意見を言い散らすアホがいる。まあ、言いたくてしょうがないのだから仕方はないが、漸く最近それを修正してきた。

 で、要するに、コーチングでも人心掌握術でも思いやりでも、それをハナッからできる人がいるということだ。そういう人は大抵の場合なんでも対応する。まるで内なる真理の公式があり、それを適応しているようだ。一方凡人というのは、反復練習しないとアルゴリズムが分からない。分かったアルゴリズムが最適化されたもの(真理の公式)とも限らない。


 見方を変えて、こういうこともできるだろう。

 テレビキャプチャーボードでいうと、ハードウェア・エンコーディングが天才であり、ソフトウェア・エンコーディングが凡人である。ただしこの場合ソフトウェアは最初からはなく、経験によってすこしずつ出来上がる。後者は多分に頭を使うから疲れるうえ、結果はハードウェアエンコーディングに比べて芳しくないことが多いのだ。
  1. 2005/09/23(金) 20:39:44|
  2. 雑感、随筆
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ぼくが愛して止まないThe Simpsons Season1-2



Season 1
オープンニングでBart飛びすぎ。笑 オープンニングの落ちはべた過ぎてサザエさんみたい。
人物の性格が今の放送と全然違う。Homerはアホじゃないし、普通の労働者がちょっと怒りっぽいだけ。Mr.Burnsも普通の鷹。Barneyはloserじゃないし、Margeはぜんぜんしっかりしていないおばさん。ほかの人物もみんな普通で、個性がまたCurvetされていない。シナリオもくさいドラマっぽい。
Episode4くらいからすこし人物の性格に味が出て来る。Itchy & Scratchy Showも初登場。もろTom & Jerryを意識した構図だ。笑 うすうす気付いてたがなんでいままで気付かなかっただろう。トム・アンド・ジェリーも大好き。

Episode 8でChief WiggumとAbu, Krasty the Crownが初登場

ずいぶんといいかげんに企画がスタートしたアニメである。ファンとしては進化をぜひみておく必要があるので、そういう意味でSeason1はおすすめ。




Season 2

Homerが発毛剤でふさふさになって昇進する話。髪型がどんどん格好よくなっていくところはアニメーターの技量に唸る。馬子にも衣装だね。Mr.Burnsは102歳じゃなくて81歳だった!

このシーズンの脚本はさらに真面目になった。テーマはひたすらFamilyであった。Homerはずっと自分の家庭は失敗だったのではないかと懸念しつづけたが、結局いつもそうではないという結果だと証明される。
ま、そんなに悪くもないが、みてて疲れる。

このごろまだGrandpa Simpsonはボケておらず、Homerも普通に親孝行している。ここからもっとHilariousになっていくことに期待。

EP 10  BartがBurnsの車にはねられる。2大インチキプロフェッショナル弁護士Lionel Huts と Dr. Nick Rivieraが初登場。笑

シーズン2は全体的にSnobishでSeriousだと思う。Familyがテーマになっているのがもろで、あまりたくさん笑えない。



  1. 2005/09/19(月) 02:31:02|
  2. 見た本、映画
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テストが終わってからの生活

金曜日にテストが終わった。最終日の出来は・・・頭から記憶を抹消したい。授業に出席し、試験も受けた科目の中でゆいつ不可る可能性を孕んだ科目だろう。

さて、テストが終わると、予想してた通りいろんな付き合いが活発化した。

金曜日
午後ダンスのレッスンして、それからササさんちに行った。バードさんとTokuさんと8時に池袋で待ち合わせ、ラーメンを食いながらササさん待ちする。「ササんち焼こうぜ」など楽しい会話を交わしながら、実際はハナマサで焼肉を買ってって焼くのでした。ササさんちはすごかった、蔵書と名刺の数が。御著を一冊いただき、本を二冊貸していただく。バードさんが帰ると貧困解消やら人生の目的やら踏み込んだ話もする。なぜか朝方五時になるとおれんちに移動して、三人で三国無双エンパイアズをやり始める。僕とTokuが眠りに落ちたあともササさんはやりつづけていて、起きたら僕の呂布がやられていなくなっていた・・・泣き笑

 
土曜日
 12時に目が覚めて、Tokuちゃんと二人でゲームのつづき。というわけで、いろんな意味で土曜日は金曜日と連続的だ。「これ勝った方が人間として優れてることにしよう!」という僕の提案に本気をだしまくり、ゲーマっぷりを遺憾なく見せつけたToku。笑。彼はギルティ・ギアとMARVELが強かった。Tokuが三時で帰ってからは急いで片付けをし、出かける準備をする。塾のバイトと飲み会がそれから連続してある。
 塾では相変わらず中学生を教えている隙間にその次の時間の高校生の予習をするおれ。なんだかんだいってここは俺にとってかなり集中した、チャレンジングな3時間になる。笑
 授業を10分早めに終わらせ、渋谷にいく。
今日はJing主催のリーマン・ブラザースインターン者を中心とした飲み会だった。人数と場所的にあまり多く話せなかったが、すごい人が二人いた。まずは中国語をはじめ5ヶ国語しゃべる医学部の人。本来なら「○カ国語しゃべれる」と聞いた瞬間に僕は腹の中で笑いそいつのことを二度と信用しなくなるのだが、このカツノさんの場合、まじやばかった。英語はネイティブ並だし、中国語は僕が知っている学習者の中では一番上手かった。フランス語とスペイン語も、どの程度かは分からないが、即座に会話してた。

 もうひとりはとびっきりの美人。ヨーロッパ系金髪美形。息を飲むほど

んで、帰り際になって、参加者の二人がりなこの帰国友達だと判明!狭い世の中だ。来た価値あるパーティ。

 コウジから千円借りて飲み代を払い、てづーをつれて氷川台にある友達宅の誕生日パーティに駆けつける。パーティといってもよく気心しれた野郎6人で、とても気が楽だった。家主のヨチの両親が不在のため、くつろぎ放題。
 ここでみんなでゲームだのまんがだのしていたはずが、夜がふけるといつのまにか浦島効果とか、相対性理論、なぜ美人は共通して美人だとか、人間の認知とかそういうアツい談義になった。
 朝方近くまでやり、ぼくの連続的なライフは続く。

日曜日
 朝7時に有楽町線に載り、家に帰る。メールやらいろんな処理をして、やっとねむりにつき、連続的な生活にピリオドを打つ。目が覚めたら四時。のんびりブログ読んで、本を読んで、7時に渋谷に行き、クラスの試験お疲れコンパに出る。久しぶりにみんなに会うが、それほど盛り上がるわけじゃない。でもいろいろと感慨は深い。やっぱかわいい子はかわいい。

 渋谷遠い。もう行きたくない。
  1. 2005/09/18(日) 17:52:28|
  2. 生活記録
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このブログの存在意義1

 そもそも、このブログが存在する意味はなんだろうか。

このブログを書き始めたのは、自分からなにか有用な情報を発信するためだった。

一つには、僕にしかない視点から見た日中情勢とか

一つには、わかりやすく直感的に、ファイナンスの考え方の普及を図る


 つまりこのブログは、決して無数にあるような「自分の日々と思想の記録」を意図したのではない。あくまでも情報の有用性を目指したはずだ。そういう意味でも、友人とか内輪向けではなく、一般向けにしたのである。

 それが、ふたをあけて見たらどうか。

・結局日中関係は止まった。
日本で暮らしてもう10年になり普通に大学生やっててテレビも見ないおれが、中国に関する良質な情報を持ち合わせているはずがない。有用な視点を提供するのは、時間を割いて調べないことには無理だ。

・金融はまだ書き始めていない。
そもそも書けないし、自分みたいなひよこが金融について書くことの意味も大してない。世の中には入門書が山ほどある。

・アクセスしてくるのはほとんど身内。
身内向けに宣伝をしてるわけじゃないのに、アクセス解析見ると結局所属するサークルだのクラスからのリンクが多い。

 要するに、ここは結局は単なる己の日記に成り下がっている
カテゴリーの文章数をみても明らかだ。

さて、日記の場合、有用性ないしアクセス数は、その人の実社会における魅力に比例する。好例がこのブログだろう、shimanblog

 そういうわけで、このまま(内容のないまま)行けば、僕のブログは誰もみなくなるだろう。誰も読まなくなるとどうなるのかというと、悲しいのだ。

 ブログを書く理由の根底に、自己顕示欲というのがある。ぼくはとりわけそれが強い。
  
 そうでないのなら、ブログじゃなくて単にノートに日記でいいはずだ。

 さてどう改革したらよいものか 考え直している次第である。
  1. 2005/09/14(水) 16:56:01|
  2. 雑感、随筆
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集中するんだ。おれ

呂布を仲間にするのため多大な時間を費やした後、しっくり試験勉強をはじめる。

集中するんだ!おれ


まったく・・・・たまに思う、自分はいま、場違いな場所にいるんじゃないかって。

三年の専門科目はさすがに勉強量が必要だ。それを(おそらく)効率よくこなしつつ、さらに各方面で魅力を発揮する面々を見てると、自分のへぼさになえる。


集中してやるしかないな、時間が限られている以上。

買った本は山積みだし、ゼミの総復習もまた。来週一週間本当の意味で休みはあるが、その後にBebitのインターンが始まり、10月のはじめにD級戦がある。

二学期はバイク買おうかと画策している。せっかく本腰いれて勉強しようともったけど無理だな。

にしても、授業に5割以上出席してるとなんとかなっちゃうもんだね。今学期は入学して以来最高の出席率を達成したおかげで、試験勉強時間取れなく死の危険を感じつつも、今のところ受けた科目の単位はおそらく全部来ている。当初の予定「全優」は程遠いが。

てか何で東大は九月に試験やるんだろう・・・

まあ、法化大学院入学というオプションは断たれたな・・・成績的に

  1. 2005/09/14(水) 16:07:16|
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iPod nano 発売

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iPod nano


バカ売れの予感。

重さ42g、 容量4G、 カラー液晶。まじスペックが革命的だよ、この製品・・・

価格も戦略的を越えてもはや確信犯。4GBのフラッシュメモリが5万円以上するのに、こんなに安くて大丈夫なのでしょうか。

ソニー死んだな・・・
  1. 2005/09/10(土) 23:07:37|
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金曜日は

 午前、寝る。午後、ゼミで出席採るぞって脅されて、福井総裁の講演に出る。行ってみたらどうも東大に金融大学院ができる式典だった。話の内容は・・・・・ん、鴨なくて感じ

 帰って、友達うちに来る。最初はヨチとKni、そのうちにんぎと多き。スターウォーズ三部作を見るとか言って持ってきてないし!それから話に話した。多きが好き放題にネタを言い、にんぎがどこのテニサーから覚えてきたか変な新しいノリを発揮する。ヨチがマジ切れたびたび。結局だれ一人として帰らず、最終絶叫計画3を上演してから消灯しまた話した。五人で布団の奪い合い、ホモプレイ。夜中に三国無双やり始め、寝て、次の朝またミンゴルやる。

 この企画はもともとすこしも乗り気じゃなかったが、ヨチの提案とKniの乗り気で実現した。重要な点は、多きからいろいろ話を聞いたことと、Kniが金を返してくれたことと、あとなんだ、久しぶりににんぎに会えたことか?こういうときにこそ聞ける自分に対する評価もある。

 土曜日は寝て、バイトに行く。生徒が一人増え、一回の出勤でギリギリ一万稼ぐ。よっしゃー。でも大体帰りラーメン食って帰るから足掛け五時間だね 汗

 さーて・・・
  1. 2005/09/10(土) 22:46:58|
  2. 生活記録
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一昨日と昨日の行動

 最近毎日更新しているのは、暇だから。試験期間中ではあるが、三つ終わって次の民法まではあと六日もある。気が楽だ。

 昨日は昼まで寝る。コンビニ行って、飯とGooバイクを買う。家に帰って食いながら読み、バイク何を買おうか妄想する。
 ビデオ屋行ってDVDを6本ほど借りて、部屋を締め切りスクリーンを降ろし、プロジェクターをたく。一人では久しくやっていない贅沢の時間だ。
 映画一本見終わると4時。せっかくスクリーン準備したので三国無双エンパイアをやってみる。呂布に勝てなくてコントローラーを投げる。コンビニに行き、飯を買う。微妙な弁当を買ったため食ったらますます腹が減り、意を決してとんかつ定食を食べに行く。ところが半分食べたところで満腹になり、完食するごろには気持ちわるくなっていたー
 
 腹パンパンになって帰り道につく。己の愚かさを呪いつつ、食費を節約しなきゃと思い立ちスーパーに寄る。帰ったらブログのデザインを弄りはじめ、三時間かけてCSSをすこしだけ理解する。カウンターとアクセス解析もつけなおす。こういうのは本当骨折りで細かいね。

 食いすぎたのでジョギングに行く、帰ってきてストレッチしながらThe Simpsonsを見る。

 10時くらいにパソコンを閉じ、電気を消したら寝てしまった。目が覚めたの2時、もう一度目が覚めたら朝の7時だった。

 日が変って、朝

 しばらくだらだらして、朝めし買いにコンビニ行って(基本的に試験期間中はアウトソーシングすることにしている)、ハーゲンダッツと焼き鳥を買う。帰って食いながらThe Simpsonsを見る。遷都について書き、それから近くの区立図書館に行く。意を決して統計の演習をしようとしたら、図解分かりやすい民法なる本を見つけてしまい、試験のためだと自分に言い聞かせて読み入る。さらに昔読んだ「二人の証拠」も見つけ、完読する。この小説は本当すごいね。途中で腹が減りアイスを買いに行く。
 
 6時になり、急いで飯を食い、スタジオに行く。パートナー帰省で一人レッスン。試験やらインターンやらで、久しぶりに踊る。
 

 ここ二三日、本当やりたい放題だな。 ま、いいだろ 夏がんばったし 笑
 顔色と体調はいいが、デぶりつつある。そういうことで、明日から鬼神のごとく勉強しよう。
 
ところで、ブログのデザインを変えてみたのだが、以前と比べてどうか。意見を書いてくれ  
 
 
  1. 2005/09/08(木) 19:01:38|
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雑想   遷都について

 基本的にこのブログの読者としては、インタークラス、ダンスサークルの仲間、それにネット上の一般ぴーぽーを想定していましたが、最近になってゼミを始め、いろんな知り合いの方が来訪して、慌てております。
 ますます書ける範囲が狭くなり、ますます文体に気をつけなければならなりません。薄氷を履む思いです。

 さて、日本は遷都をしなければならないと思います。遷都先としては、福岡か仙台が適格だと思います。理由は

福岡
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1.攻殻機動隊の中で、2030年の日本は福岡が首都になってた(理由になってねー)

2.今のように、政治と経済という二つの卵を、東京というひとつのバスケットに入れておくのは危険すぎる。一旦地震が起これば、両方ともポシャン。

3.そもそもこれから人口減の時代になっても、東京一極集中、首都圏への人口流入は止まらない。地価の差もますます広がるんじゃないかな。地方自治体は人口の取り合いに躍起になっている。みぐるしい。

首都機能移転

 台風カトリーナの災害をみていると、No.1アメリカといえど、都市を丸ごとを飲みこむ規模の自然災害の前では無力に等しいことがわかる。とすると人間にできるのは、予め被害が大きくならないよう持っているものを分散することである。首都機能移転のボトムラインはここにある。東京直下型大地震がささやかれる中、政府もBCP(Business Continuity Planning)くらい考えなきゃいけないってこった。

 ちなみ遷都というのは、皇室の移転も含む。皇室にはぜひ京都に移ってもらいたい。そうすれば千代田のあそこはセントラルパークにできる。公園が多すぎるというのなら、金融街を作ってもいい、アジアの中心になるだろう。

 そもそも今の関東への人口の集まり方はおかしすぎる。埼玉一県で中国地方全体に匹敵し、横浜川崎の人口は四国よりも多い。これを都市人口率の高まりと呼ぶか、いびつと呼ぶかは勝手だが、中国・四国地方にだって平野(小さいが)はあるし、都市だってある。広島港岡山港もある。人が住めないわけじゃない。ならどうして人が住まないのか。

 人口の都市への集中という現象を考えるときに、「人は高きに歩み、水は低きに流れる」という中国語が良く当てはあると思う。人は常により良いものを求めて大都市に移り住むわけだ。もちろん理論的には、都市人口が多くなりすぎると(通勤電車が窮屈になりすぎると)みんな嫌気がさして、田舎の自然と環境を求めて戻って行くはず、ある時点で均衡が達成されるはずだ。しかし60年代から一向にその気配が見えない。どうしてか


 「射幸心」というのがキーワードだと思う。宝くじとか馬券を買うときのあの心理だ。東京が巨大すぎると、そこにいけばなにかすごいことが起こるんではないかと、夢を抱いてみんな「上京」する。そして巨大とはいえ都市が提供できる資源「住宅、労働機会、賃金、消費財」は限られているから、やがてどうしても一定の人たちが淘汰されて、もしくは嫌気がさして、「Uターン」していくわけだ。

 この何十年も続くプロセス自体が社会的に見たら損失ではないかと思う。つまりなにもみんなして東京で何年も窮屈な想いをしてからまた国に帰る事はないんじゃないかな。
ここで言いたいのは、移住の自由を制限しろということじゃないということに気をつけていただきたい。東京に匹敵するくらいの大都市をあちこちに作りだす必要があると言っているのである。東京一極集中は、(昔の)東大一極集中と同じくらい弊害である。富士山型ではなく、八ヶ岳型を目指す必要がある。


 
 そこで、白羽の矢が立ったのが仙台、福岡だ。首都機能移転に関しては「東京に比較的に近い栃木、または岐阜」とか甘ったれたこと言ってんじゃない。いっそうのこと福岡に移転してして、釜山、上海との地理的な近さを生かして第二の経済都市に発展してもらおうじゃないか。大国際都市に化ける可能性はあると思う。中韓に近すぎては地政学的に良くないというのなら、仙台にすればいい。

 皇室にはぜひ京都に戻ってもらって、千年の都で正統日本文化の象徴になってもらいたい。観光も促進するだろう。千代田区は公園と金融街にしよう。

 以上が僕の地震大国日本に対するリスク分散案だ。 
 
  1. 2005/09/08(木) 08:01:28|
  2. 雑感、随筆
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日曜日成蹊大学に

日曜日に安倍晋三の母校に行ってきた。


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私立のキャンパスてどこもこんなきれいなんだろうね。なんか国立と違う雰囲気がある。ちゃんと手入れの行き届いた芝生って感じ?



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成蹊大学に行ったのは、別に晋三が目当てだったわけじゃなく(そもそもいないが)、例によって性懲りもなく、資格試験ってやつだ。

SA270002.jpg


 ここの受験者層はかなり特異で、主に、暇を持て余している若目の主婦と、暇を持て余している中高年の方と、そもそも日本語をあまり話さない方々から構成されている。またまれに何を思い過ごしたか女子大生も見られる。
 
俺みたいな変態男子学生はほかにいなかった。

通訳ガイド試験ってやつだ。 ちなみ試験問題

 さてこの試験の一番の面白みは、純ジャパじゃまずできない外国語の難しさと、逆に外国人じゃ絶対できない日本史、地理の問題が絶妙にコラボレーションしている点である。

たとえば、外国語に訳す問題ではこんなのが出る

寄せ鍋
駅前再開発事業
ブロードバンド
蚤の市
貸し切り露天風呂
瞬間芸


死んでくれって感じだよね 笑
 そもそも瞬間芸てなんだ?いまどきいわんだろ

こうして、毎年95%くらいの受験者が落ちていく。



まあんで今回結果だが、何だかんだいって受かってると思う。
まあ、自慢を書かせてくれ。そもそもこの試験をねらったのは、純ジャパでも外国人でもないおれなら軽く直前3日くらいの詰め込みで取れておいしいのかなぁー、と思ったからであります。結局学校の試験との兼ね合いでいろんな無理が生じたわけですが、資格取得後は観光案内しながら日給二~三万稼げる(とだけ言ったら甘いですけどね)ので、このブログを見ている大勢の日本人で非純ジャパな子にもおすすめしたい。

話戻すとが、おそらく道元の曹洞宗と92年のリオ環境変動枠組み条約?が勘で当たったことを試験後確認できたあたりで、勝利を確信したのだと思う。
平均得点率70%の合格ラインに達すればいよいが。

地理だけ東大模試全国1位だったおれの手にかかりゃ3年後といえど9割は堅かった。日本史は大学受験で使わなかったが、直前二日の気が遠くなるような詰め込み暗記の甲斐あってなんとか7割か。

(思うにああいう歴史の勉強は、日本で義務教育を受けなかった者にとっては苦痛以外の何者でもないだろうねー。俺は天皇家が大覚寺統と持明院統に分裂したあたりを読んでニヤニヤしてましたけど 笑)

 問題は一般常識だった。テレビを見なくなった分かなり苦戦した。6割弱かな。微妙に完全失業率の最高値を外しつつも、環境問題ので半分以上確保し、三里塚闘争も気合で当てた。

 まあ、Last日曜日の話を今ごろにながながと書きましたが、いずれにしろ二ヵ月後にゃ結果が出て、そしてクリスマス前には面接試験がある。最終合格発表は履歴書に書くのにはギリギリ間に合うでしょう。

 といっても商社専用のオプション程度だね



  1. 2005/09/07(水) 10:31:15|
  2. 生活記録
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