超 自 省 録

時事、日中関係、社会問題について。会社員、オタク、二ヶ国語をしゃべるやつが、書きます。

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帰納と演繹と天才

 天才は演繹ができる人のことだと思う。生まれながらにして真理が組み込まれた人とでも言い換えてもいい。

 凡人でも、年を重ねて経験が積もれば真理が分かるようになるが、天才は最初から真理が組み込まれている。凡人は真理の公式を帰納によって取得する。帰納は学習であり、だれでもできる。しかし世の中には、未経験なことでも初っ端からできる人がいる。それが天才だ。

 いったん話が変るが、演繹に使える真理の公式は、どのようなものだろうか、それは時、空間を超えて共通するものだと思う。例をあげてみよう。
 
 文帝の幕賓は、宰相の人事について意見を尋ねられた時、「陛下はどうお考えですか。」と返しつづけ、見事に帝の真意を引き出したという。
 これぞ今流行りのコーチングではないか。

 相談を持ちかけられたとき、ちゃんとコーチングできる人間がいる。天才だと思う。一方で、俺みたいにいいかげんな意見を言い散らすアホがいる。まあ、言いたくてしょうがないのだから仕方はないが、漸く最近それを修正してきた。

 で、要するに、コーチングでも人心掌握術でも思いやりでも、それをハナッからできる人がいるということだ。そういう人は大抵の場合なんでも対応する。まるで内なる真理の公式があり、それを適応しているようだ。一方凡人というのは、反復練習しないとアルゴリズムが分からない。分かったアルゴリズムが最適化されたもの(真理の公式)とも限らない。


 見方を変えて、こういうこともできるだろう。

 テレビキャプチャーボードでいうと、ハードウェア・エンコーディングが天才であり、ソフトウェア・エンコーディングが凡人である。ただしこの場合ソフトウェアは最初からはなく、経験によってすこしずつ出来上がる。後者は多分に頭を使うから疲れるうえ、結果はハードウェアエンコーディングに比べて芳しくないことが多いのだ。
  1. 2005/09/23(金) 20:39:44|
  2. 雑感、随筆
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