超 自 省 録

時事、日中関係、社会問題について。会社員、オタク、二ヶ国語をしゃべるやつが、書きます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

学習というものは

 勉強ってのは、しばらくブランクがあると、能\力が激しく落ちている。数えてみれば、最後に正真正銘ちゃんと勉強したのは二年前の受験だ。あれ以来はごまかしまやかしである。 そうするとどうだろうか。今じゃ計算ができない。んで式変換も理解できない。最盛期には、ほぼ積分不能\に見えるような式を積分していた記憶がたしかある。この腕力の低下は嘆くばかりしかない。  不思議なもので自転車の乗り方や泳ぎ方、或いは母語のリスニングなどは、いったん覚えてしまえばどれほどのブランクがあろうとも、忘れたりはしないのになあ。  だけどよく考えてみると、たとえば、世界記録近辺の速さで泳いだり、小さい自転車で軽業(あれなんていうんだ?)をやってのけたりするのは、おそらくブランクがあるとできなくなるだろう。
 これを裏付けるようなことを、とあるプロのボールムダンサーがこう言っていた。「私たちはね、一日でも踊らないと、すぐに鈍っちゃうの。年末で二、三日帰省した時なんて、もう踊れなくなってるわ。」と。  するとどうやら、人間は、複雑で高度な能\力に関して「いったん習得してしまえば保存がきく」理論は通じないらしい。常に行っていなければ忘れるということである。これは実に残念だといわざるを得ない。小脳だか脳のどこかで、水泳や言語同様、ずっと習得当時の能\力を保ってくれていればいいのになあ。
 そうすると、いま学力低下に苦しむ僕もいなくなるわけだ。  しかし、一方違う視点から考えてみると、そもそも人間(生命)以外のどんな複合体も「習得」したり「上達」したりはしない。無機複合体(たとえば自動車,計算機)のスペックはハナっから決まっていて、それを超えて能\力を発揮することはないのだ。計算機はデーターの蓄積によりベターな処理ができるようになるかもしれないが、それは上達ではない。そう考えると人間の「習得」に対する「忘却」もすこしは納得できる気がする。ことに人間の反復学習による特化能\力には目を見張るがあると思う。そうして研ぎ澄まされた能\力が、放置されることによって失われる(つまり学習以前の状態にまで後退する)のは、鋭利なが刃物を時々研がないと鈍くなるのと同じで、自然なことなのかもしれない。 では、水泳や自転車、言語はどうたとえればいいのだろうか。これらの能\力は「鋭利な刃物」ではなく、最初から備え付けてある「鈍い刃物」なのだろうか。  考えてみると、この世には各分野でおよそ人間業とは思えないようなことをやってのけている人たちがたくさんいる。しかし、すべての人間業とは思えないようなことを同時にやってのける人はまだいない。つまり、世界的ピアニストでありながら、100メートルを9秒台で走る人はまだいないのだ。  ここまで来ると、思想が攻殻機動隊GHOST
IN THE
SHELLに飛んでいってしまう。が、それはあまりにも知っている人が少ないので、書くのはこのへんでよそう。
  1. 2005/02/12(土) 19:33:01|
  2. 雑感、随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<銀杏会納会 | ホーム | 図書館で>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lmaster.blog7.fc2.com/tb.php/28-3f162184
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。