超 自 省 録

時事、日中関係、社会問題について。会社員、オタク、二ヶ国語をしゃべるやつが、書きます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

食肉製造工程の最初から、いじめ自殺に思うこと

猟奇的でショッキングな映像を二つ。


牛の屠殺工程の動画
画質が悪いので、なにをやっているのかよく分からないと思いますが、牛の喉ところをかっ切っています。それにしても、切られた後にすぐに動きが止まる牛から、しばらくじたばたする牛まで、個体差が大きいですね。


豚の屠殺工程の動画
 これも長い動画ですが、屠る(ほふる)場面は中盤過ぎあたりにでてきます。豚の首の下を、心臓に向かってひと突きです。豚たちも、なんとなく察知しているのか、恐れ戦き、じたばた逃れようとしています。頭がいい。


 上記の二つ、非常にえげつない映像です。怖がりな人、平静な心情を保ちたい人は見ない方がいいと思います。この世界の限界を覗いてみたい人、これを機に菜食主義になりたい人は見てみると良いと思います。テレビでは間違いなく見ることができない映像です。


 僕は最初、牛の方の映像を正視できなかったくらいでしたが、繰り返される同じ作業の映像を見ていると、なんだかすぐになれてしまいました。すごいですねー、笑、人間の慣れる力というのは、おそらくあらゆる環境・・・強制収容所から酒池肉林まで対応しているのでしょうね。動画のなかの屠殺夫(これを差別用語だというやつはひとまず校庭二十周走ってこい)たちも、案外それほど仕事をしんどいとは思っていないのかもしれませんね。

1.まず考えたのは、もっと良い仕組み、方法はないかということ。しかし少し考えてそれはないなと思った。牛君と豚君には、どこかの段階で「生」から「死」の状態になっていただく必要があるわけですから、どんなハイテクな機械を導入したところで、最終的に発泡スチロールのパックに入ってスーパーに並ぶ必要がある以上、グロさ、残酷さはあまり改善されないでしょう。

2.とはいえ、電気ショック、睡眠薬、毒薬を与えてから刃物を使うという方法が考えられる(実際にとられている)でしょうが、これは欠点がある。第一にコストがかかる。第二に、薬使用の場合、その後の食肉の安全性が問題になる。いずれにしろ消費者が不利益を被る。

3.ばからしい話かもしれませんが、豚たちはよく反乱を起こさないもんだなーと思いました。笑 俺が豚なら、間違いなくマトリックスのネオっばりに、豚類を率いて人類に最後の戦いを挑むと思います。

4.人類が豚や牛の位置にいたら、と考えると怖いものですねー。まったく。猿の惑星や火の鳥じゃないですが、それと似ていて、要は長い進化のなかでどこかがすこしずれればホモ=サピエンス=サピエンスが他の動物に飼育されるようになっていた可能性があるわけです。あるいは他の星からさらに強力な種族が地球にやってきたりしてね。あひゃー。動物愛護団体の言い分・動機の一つも、おそらくここにあるでしょう。

 いかがでしたでしょうか。みなさん様々な感想を抱かれたと思います。コメントあればどうぞ。


 ところで
 巷では、テレビやら新聞が、年少者の自殺を報道することが流行っているようです。自殺願望の子を、屠殺場に職場見学に連れて行くというのは、どうでしょうか。安易で愚劣な意見でしょうか。少なくともビビッてしばらくは死など考えなくなるんじゃないかと思います。

 「本気で悩んでいる居る子供に対して、そんな乱暴で無責任な意見を言うなんて」

「もっといたわりをもって、保護者、学校、地域が連携して・・・・・ぶらーぶらーブラジャー」
という批判は免れないところでしょうが、僕としては、ここははっきり一喝したい。

 君たちなんて統計上の誤差なんだよ

 日本全国に何人の未成年者がいて、何人がいじめで自殺してるのでしょうか。ひと学年に50万人、小三から高三まで数えあげれば(未就学者も含めて)500万人はいるでしょう。毎年10人がいじめを苦に自殺したら、確率は100万分の2だ。この程度で学校を責めるのはいい加減にしろ。GEのシックス・シグマの品質管理も顔負けなことを学校に要求するな。

 それに、日本の未成年者のうち、毎年何人が犯罪、交通事故、病気、貧困で命を落としているのでしょうか。貧困で死ぬ子供はいないって?外国にはいるでしょう。それもたんまりとな。満ちあふれた日常がゆえに、人間関係がうまくいかないからと、子供ながら自分の命を絶つという新しい病理。それも先進国病に間違い。もっと劣悪環境ではありえないことだと思います。中国や北朝鮮やアフリカでは死ぬ子供はもっと多いだろう。しかしそれは自殺ではない。いじめ自殺を問題として喧伝してまわる者は小説「悪童日記」を読んでみると良い。あるいはマンガ「サンクチュアリー」を読むといい。作品のなかの少年が、饑餓、圧政、戦災などあらゆる死の可能性に直面しながらも懸命に生きようとすることに、涙を流すだろう。
 
 ここまで書くと、ついでに書きたくなりますが、僕はこの文章の読者の大半と違い、貧困とはどういうことかを生活として体験したことがあります。(出たっ、貧乏自慢。) 1980年代、中国内陸部にある僕のおばあちゃんの村は、日本に例えるなら、戦後まもなく~せいぜい高度成長前のような環境でした。そこでは、豚の屠殺は当たり前のように、村の通りで行われていました。子供たちが集まり、好奇心満々で見学していました。
 そのせいかと思いますが、すこし前に日本でニュースになった「猫を崖から投げ捨て殺した」という女性作家の行動を、僕は良く理解できます。彼女はそのくらいでもしないと、生きることの現実感を得られなかったのでしょう。一方で、動物愛護団体という人々を僕は大嫌いです。彼らにはぜひ、世界中の戦地に赴いて、人間が今そこで死んでいるということを目の当たりにし、また都市に戻って動物愛護活動を続けてもらいたいと思います。

 そんな貧乏自慢と好き嫌いを書いて、なにが言いたいかって? こういうことです。現代人の生活。東京のような都市。あらゆる危険が排除されて、唯一残るわずかな暗黒も日常から隠蔽されたとき、ともすれば人は、生というものを、ピンぼけしてぬる甘い味がするものだと認識しがちになるのではないでしょうか。そして少し死の現実感を嗅ぐと、事の軽重もよく理解できないままに大騒ぎします。でも、それは違うと思います。生きるという現象の原点は、本来もすこし辛口で、鮮明なものではないでしょうか。


 最後に繰り返しますと、この文章の主旨は、いじめ自殺を大ごとかのように騒ぐ風潮に対する批判であります。いじめ自殺をする子供に対する批判ではないことは、きちんと読んだ人には瞭然だと思います。(もちろん、かと言って同情もしていません。誤差は相手にしないというのが僕の意見です。)

 
  1. 2006/11/23(木) 03:31:15|
  2. 雑感、随筆
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<書きかけのメモいろいろ | ホーム | Wii will Wii will rock you! 家庭用ゲーム機鼎立の今>>

コメント

PETAのサイトにある映像は、数年前に見たことがあるが、本当に迫力あるね。それ以来、松屋の○丼と向かい合う度に、そのシーンが頭の中で浮かぶ。
菜食か肉食か、あるいはレザーやファーを着るかどうかは、それぞれの個人の倫理観による自己判断(自己責任)に任せるべきだ。しかし、もし私が教育者の立場になったら、自分の子供や学生たちにその映像を一度見せたい。食べるという日常行為の背後にある真実を見せたい。
人間の残酷さを隠す必要はないと思う。むしろ、ゼロベースの思考が必要だ。つまり、われらは如何に残虐な種であることを認める上で、何ができるのを考えるべきだ。
自分の中では、やはり動物と人類の間に兄弟愛(brotherhood)が成立するのが理想だ。
私は動物愛護団体を嫌わない。あいにく戦場にいるなら人命を救助すればいい。運がよく都市にいるなら動物保護の企画を立ててもいい。動物愛護云々言わずに、自分が飼っているペットの世話をしてもいい。その場でできることをした人間は咎められない。動物愛護を政治まで上昇させた人たちも、やりたいことをやったから、その勢いは尊敬する。

自殺願望の子を、屠殺場に職場見学に連れて行くのは、すばらしいと思う。火葬場を見学させてもいい。強制収容所の跡地を見学させてもいい。戦場に行かせていい。病院のICUを見せてもいい。死を見ずにして、「とりあえず生きていこう」という生命体の常識が生まれない。
でも、子供が自殺することに対して自己責任だというのも、できない。「社会の悪は自分の悪」と論じた人がいるが、賛成だ。いじめ問題で社会がだめだと嘆くより、「わたし今日、駅前でキャバクラのビラを配っていたおっさんを鼻で笑った、いけないことしたなぁ」と気付く方がましだと思う。
  1. 2006/11/23(木) 05:52:01 |
  2. URL |
  3. bridgestar #-
  4. [ 編集 ]

数年前に見たことがあるとは驚きだ。笑

>人間の残酷さを隠す必要はないと思う。むしろ、ゼロベースの思考が必要だ。つまり、われらは如何に残虐な種であることを認める上で、何ができるのを考えるべきだ。

賛成します。

>あいにく戦場にいるなら人命を救助すればいい。運がよく都市にいるなら動物保護の企画を立ててもいい。動物愛護云々言わずに、自分が飼っているペットの世話をしてもいい。その場でできることをした人間は咎められない。

度量が大きいでお考えすね。この寛容さですと、子供たちも大人立ちも、屠殺場に興味ない人は触れなくて良いということになりませんか。それとも、すべてを知ってほしいが、すべてを知った上でなら、個々人に選択・態度の自由は認めるということでしょうか。

僕に言わせれば、すべてを知ったうえなら、理性的な結論は必然的に一つになります。すなわち動物愛ではなく、人間愛になります。 
 動物愛護に精を出すアメリカ人は、イラクで人が死んでいることを知らないか、見て見ぬふりをしているのだと思うんですよ。

 日本人にしても、勝谷誠彦が書くところの 「2006/11/22 (水) 朝から全局が「崖っぷち犬」生中継のお目出たい国家」http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20061123
 のような、生ぬるさだと思います。



 ご意見のほかの部分に、僕は賛成です。
しかしここが良く分かりませんでした。

>「社会の悪は自分の悪」と論じた人がいるが、賛成だ。いじめ問題で社会がだめだと嘆くより、「わたし今日、駅前でキャバクラのビラを配っていたおっさんを鼻で笑った、いけないことしたなぁ」と気付く方がましだと思う。

なんだか繊細な感情を感じますね。笑


ちと語気がつよくなりましたかもしれませんが、ご諒解を。良いコメントに感謝です。
  1. 2006/11/24(金) 22:34:17 |
  2. URL |
  3. 超旅行人 #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://lmaster.blog7.fc2.com/tb.php/294-80ee15d1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。